„Sachen, die man tun soll oder tun kann bzw. diese Sachen selbst“ ergibt keinen Sinn. Was soll das „bzw. diese Sachen selbst“?


Ergänzung zu obiger Klammer: nicht »als Ästhetisierung«, sondern »als Ausdruck einer Ästhetisierung«.JPP


用例: 「オブジェ・トゥルヴェ(objets trouvés)は、日常語としては「落し物」、「拾得物」をいう。美術の用語としては、自然のものであれ人工物であれ、藝術家が意図して制作したものではないが、それに何らかの美的価値をみとめて「拾いあげたもの」を意味する。」


Link ist tot


Link ist tot


用例: 「文章を書く目的は、生を与えること、そして生が閉じ込められていたら、そこから生を解き放つこと、あるいは逃走線を引くことなのです。」ドゥルーズ『記号と事件』より


Entschuldigung für die falsche Anklage, da gab es ein Missverständnis.


エクセルシート = Excel-Tabelle


Wieso wurden die Verwendungsbeispiele, die ich rausgesucht habe, damit man dem Wort auch etwas anfangen kann, eigentlich gelöscht?


(frz. agencement) [2] (bei Deleuze/Guattari): Gefüge (in »Tausend Plateaus« und heutzutage allgemein am weitesten verbreitet) , Verkettung (in »Kafka. Für eine kleine Literatur«) , Anordnung (selten und stark kritisiert).


....でお目にかかれるのを楽しみにしています。Ich freue mich darauf, Sie im .... begrüßen zu dürfen.


{phil.}


{phil.}; 用例: 「ドゥルーズの概念生成論における概念は、有限個の概念要素が「共立性 consistance」を持つ場であるとされている。この場合のconsistanceは「ともに たつこと」という原義に近い意味で使われている。なお動植物の相互依存関係などは「共生symbiose」がよく使われる。」ー熊谷侑也 『ドゥルーズ=ガタリのリゾームについて : 分割できない問題に対する操作と評価のモデル』(2011年)、22頁。


Sahne/Eiweiß auch "aufschlagen"


Mütter, wie in マザーズバッグ, マザーズデー



Ergänzung: Anthropotechnik


(einen Koffer) packen


radikal "ばっさりカット" - radikaler Haarschnitt


{phil.}; 用例: 「抽象機械は、具体的なアジャンスマンにおいて作動している。抽象機械は、アジャンスマンの第四の側面、つまり脱コード化と脱領土化との先端、によって定義されている。抽象機械は、これらの先端を描き出している。[中略]抽象機械は、[1]形相化されていない質料と[2]形相的でない機能とからなる。各々の抽象機械は、[1]質料-[2]機能の、強化された集合([1]系統流〔phylum〕及び[2]ダイアグラム)である」。MP, pp. 636-637. ー「吉澤保『千のプラトー』における「歴史」哲学」(2015年)より孫引き


"Zweischalengreifer" bei wiki // Klappgehäuse



{phil.} {math.} Rekursion


{phil.} virtuell (bei Deleuze/Guattari)


Korrektur der Zitatquelle: 増田靖彦「ドゥルーズとガタリの思想の同一性と差異ーブルースト『失われた時を求めてJの解釈をめぐって』」(2014年), Seitenangabe oben richtig.


用例:「 […]この発想を哲学において自明視されてきた〔とドゥルーズ自らが規定する)(可能的(possible)一実在的(reel) )の系列ではなく、それに対置するために〔芸術に属するものとして〕考案した(潜在的(virtuel)一現働的(actuel))の系列に敷街する。」ー田中敏彦『ドゥルーズ哲学の地図』(2001)、83頁。


{phil.}; 用例: 「そして,バーリンの中に見出されるのは,以下の3つのテーゼであるとする。 テーゼI:還元不可能性(Irreducibility) テーゼII:斉一性(Uniformity) テーゼⅢ:客観的思考の対象の全体論(the Holism of the Objective) 」


{phil.} Aus einem Kommentar zu『人はなぜ記号に従属するのか――新たな世界の可能性を求めて』フェリックス・ガタリ著、杉村昌昭訳、青土社、2014年3月:「原書は、Lignes de fiute: Pour un autre monde de possibles(l'Aube, 2011)。ドゥルーズとの共著『千のプラトー』と同時期の70年代後半に書かれた未公刊の遺作です。原題は「漏出線――もうひとつの可能な世界に向かって」。従来「逃走線」と訳されることが多かったドゥルーズ=ガタリ特有の用語を杉村さんが「漏出線」としたのは、「密閉されたシステムからの脱出と、「脱領土化」のポジティブな働きの側面を示唆するニュアンスをこめ」たものだと訳者あとがきで説明されています。」


als Suffix, zB 首里城 (Burg Shuri)


Wie in 大辞泉 [2] angeführt auch einfach Energie bzw. Masse von Energie. Z.B. in 電力量.


{phil.} (bei Deleuze/Guattari)


{phil.} (bei Deleuze/Guattari)


{phil.} (bei Deleuze/Guattari)


「アジャンスマンとは何か。邦訳では「作動配列」や「動的編成」、「アレンジメント」などの訳が当てられる場合もある。」ー山森裕毅『ドゥルーズにとって「欲望」とは何か:ひとつのシンプルな考え方』


用例: 「「作動配列」とは異質な項どうしを「創造的な『と』」(ET créateur)[D: 73=103]を通じて互いに組み合わせることによって新たな単位を生み出すことである。ドゥルーズは命題の繋辞「である」êtreの活用形 estと等位の接続詞 etの発音の語呂合いを利用して、論理的な命題を完結させる繋辞の有機的秩序から、複数の異質な語を次々と結びつけてゆく繁殖性を伴った〈と〉 etの経験論へと舵を切る。」ー 松枝拓生『概念に媒介される教育的関係性 --ジル・ドゥルーズの「口さがない批評家への手紙」に着目して--』(2018年)、146頁。


das kann vermutlich weg, "Kuchenmischung" gibt es auch schon.


"ケーキのもと" gehört hier rein und nicht in 782555. Kochen: Grundzutaten in getrockneter Form, als Pulver oder Paste


Ich denke, dass es hilfreich wäre, wenn man noch erfahren könnte in welchem Kontext diese Abkürzung verwendet wird. Unter Japanern finde ich auch keine Bestätigung, dass dieses Wort existiert und weiterhin findet es sich weder in Wörterbüchern noch bei Google...


+Sieb ("雨水スクリーン")


用例: 「自分自身について物語るという営みについて1990年代から2000年代初頭にかけて様々な理論的検討がなされてきました(ライフ・ヒストリー/ライフ・ストーリー論、自己物語論)。それらの検討を通して、自分自身についての語りが、語りがなされる時点からの遡及的な再構成であること、語り手と聞き手との相互行為に依存して構成されること(「ヴァージョンの展開」)、語りがつねに現時点での自己再帰性(「再帰的プロジェクトとしての自己」)の一環としてなされることなどが明らかにされました。」ー関東社会学会、第62回大会部会の『部会要旨』より